新福島の青い空(002)
私の生きづらさ(1)
私はヘンテコで床屋さんに行って顔を剃ってもらったりするとき、
同じところを何度も剃られるのがとてもいやで、我慢できなくなり
ます。逆さ剃りとかといって上から下からそられる奴です。床屋を
殴りつけたくなるほど我慢できません。
最初のうちは足を組みかえたりして、落ち着かなく動いて対処しま
すが、耐えきれなくなって、しまいにはもうやめてくださいと頼み
ます。
他の人は気持ちよくて眠ったりしてるのに、私はだめなんです。
ブログを書いて集中してるときに、突然家人が後ろにいて、声をか
けられたりすると、椅子から10センチくらい浮き上がるほどびっ
くりします。
家人はいつものことで分かっているのに、わざとそれをやるんで
す。耳元でいきなり声をかけられたら、だれだって怒ると思います
が、「変わり者」といわれます。びっくりして怒りだすのは私だけ
のようなんです。要するに集中しているために近づく気配が聞こえ
ないんです。
私は酒がだめで飲めません。まるっきりだめで、ちょっとアルコー
ルが入ると真っ赤になり、頭痛がしてきて、完全におかしくなりま
す。
私の生きてきた時代、20歳は1964年のときです。
そのころは酒飲みの天下で、なんでも酒飲みでした。仕事が一段落
すると、中丁場だとかなんとかいって、酒飲みします。
中丁場=辞書に出てません。長丁場の半ばという意味らしい。
仕事が終わると、ご苦労さんと言ってまた酒飲みします。要するに
毎日飲んでんです。
人は1日2合ずつ10年間毎日酒飲みするとアル中になります。
よく見ると周りはみなアル中なんです。
15時くらいから水分は補給しません。夕方の酒がまずくなるから
です。
酒の飲めない人間は本当に苦労した時代でした。
今は運転があるので、酒飲みしないでも大威張りですが、リーダー
シップがないとか、人とうまく合わせられないとか、余計なことを
いろいろ言われます。
部下からは偉そうなことを言ってたって、酒飲めねえじゃんといわ
れます。
宴会で水を飲んでいたり、ジュースを飲んでいると絡まれて、嫌み
を言われたり、昔は「おれの盃が受けられねえのか」などとすごま
れたことがありました。
女性たちは「男の人はビールの1本くらいのめないとね~」などと
かげ口をきかれます。さんざんなんです。
はっきり言うと素面でその酒飲みの行状を見てるのですから、みな
覚えています。
酒飲みにとっては油断のならねえ奴だという意識はあるのでしょう
ね。要するに一人素面でいる奴が気に食わないんです。
そういう時代を過ごしてきました。
酒飲みはみな嫌いでした。意地汚く、自分のお金でしか飲まないよ
うな人はほとんど珍しく、サイテ―な奴らだなあと思っていまし
た。
官庁などと定例の会議などがあると、終了すると懇親会などがあり
ます。
懇親会が終わると、今度は官庁とは別に自分たちだけで二次会があ
ります。行きつけのバーに連れて行かれると、そこには上司がカウ
ンターの中に入ってシェーカーなどを振ってんです。「ラッサイマ
セ~」などと言ってんです。周りには仕事に関係のない奴らが5人
くらい来ているんです。
およそ、酒飲みなどはすべてそうですよ。ひととしての矜持をなく
した奴らです。二つ三つぶんなぐられても、ひとの酒をのむ、まあ
この場合社用雑費ですが、いぎたなくしてしまうんですね。
矜持=きょうじ、自らを頼み自信を持つこと。プライド。
そういう社会でまじめにやるってことはほんとにバカバカしいで
す。自分の仕事が穢されるようでとても嫌でした。
た。酒飲まされるからです。そういう人は喫茶店などにはほとんど
行きません。
このブログの方たちもおそらく同年輩なら酒飲みだろうと思いま
す。なぜか?。酒飲みでないと人からまともに相手にされなかった
時代だからです。
だから練習したんです。酒飲んで顔が赤くなる人は、もともとはア
ルコールが苦手の人です。そういう人も、練習でアルコールが飲め
るようになるんです。
頭痛がしてくるなどの急性アルコール中毒症状を呈するような人は
分解酵素が全然ない人です。
大学の歓迎会などで飲まされて死ぬ人はみなそうです。
私の同級会では31人が集まって、アルコールが飲めなかった人は
私ひとりでした。赤くなっている人は練習した人です。10人くら
いいました。出なかった残りの20人くらいはやっぱり酒が好きで
ないのでしょう。私は幹事なんで已むなく出たんです。
いっしょに幹事やった奴は今黄泉の世界です。山好きな奴でした。
酒飲んで青くなる人は生き残り、赤くなる人はガンになって早死に
します。大酒飲みも早死にします。
酒のまなければもっと長生きできたのにという友人ばかりで、とう
とう一人にされました。
この歳になってしまって、だれも行ったり来たりする友達がありま
せん。
みなあの世です。生きづらく生きてきて、今でもブログなど一生け
ん目に書いて、友達を探しています。
おそらくできないと思います。
これから少しずつ思い出して書いてゆきます。
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