只見町から六十里越えを通り小出町に
去年の秋(2018年)いよいよ越後に向けて六十里越えを驀進した。福島~
若松~只見~六十里越え~小出町 国道252号線 約200Km
まあ、いろいろ寄り道をしてきたが、魚野川畔に立ったのは9時間後であった。
望月武四郎の歌碑も見た。
長年興味があったシルバーラインも通ってみた。全長19Kmのトンネル道。
魚野川も初めて見た。
枝折峠も始めて通った。
奥只見湖や清四郎小屋は曾遊の地である。かって平ヶ岳に登った折にはここに
2泊した。山中に1泊で計5泊もかかった。とんでもない時代だった。
私は日本百名山でこの山のことを知った。当時は7日かかったという。
現在なら2泊で済む。
え!もう2泊はどこに泊まったって?。
御池と奥只見ダムサイトの六方である。
今は樹海ラインが出来て楽に行けるはずである。わたしがいったときは樹海
ラインは通行止めだった。
私は清四郎小屋の近くで1泊した。
なんで小屋に泊まらねえんだって?
私は玄米ご飯主義なんです。肉も食いません。小屋でそんなことを言ってた
ら叩き出されます。だから最初から泊まらないんです。
https://ameblo.jp/a1927115115-02/entry-12547109102.html?frm=theme
歌碑は町中に所在するという話なので、探すのは最初からあきらめて、役場に行った。
魚沼市小出庁舎である。福島から来たと言ったら、驚いて4,5人集まってくれたがだれ
も分からない。ネットで探したりしてくれた。役場の人たちも勉強になったんでないかい。
役場の職員も分からないことをわざわざ福島から訪ねてやってくる。
ネットに出ているから不思議だ。「あ!ここだ、ここだ!」見取り図を描いて丁寧に教え
てくれた。75歳の爺いが眼の玉引っ込ませて、息も絶え絶えに、望月武四郎の歌碑は
どこですかと聞くのである。聞くと福島からやってきたという。
なにゆえに、役場の職員もビックラポンである。
小出町には ブロ友が4人もいる。この8年でできた友達である。みんな山に登っている。
ひとりは達者な絵を描いている。無線もやってるらしい。女性の山登りもいる。その人
は古い友達である。最近の知り合いは男女二人である。
最初から小出町には興味があって、徐々に友達が増えていったんである。
小出町はクマ騒動で、けが人が出て町中が大騒ぎだったらしい。クマが増えて困って
いるのだと思う。銃猟する人たちがいないのである。
わざわざ山の中に入って熊を殺すのがはやんないんである。冷たいし、危険だし、
雪崩も怖いし、わざわざ鉄砲買ってクマ殺しなどやってる暇がないわけである。
だから、クマが跋扈して街中まで現れるようになるのではないでしょうか。
奥只見のことなど話題が尽きない。50年前には奥只見や平ヶ岳、奥只見湖など
を船で渡っているのである。当時は道路も何もなくて、船か歩きであった。
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