非常災害の心得

 

 

 

ひじょうな災害時にはキャッシュレスはおろか現金も使えない

 

ひじょうな災害時にはキャッシュレスはおろか現金も使えない、災害にあったことのないマスコミも知識人も、キャッシュレス決済は災害時では無理だから、現金にしろなどと言っている。現金は万能だと言わんばかりだ。

 

原発事故では現金決済もできなかった。トランクいっぱい、背中にいっぱい現金を背負って歩いていても、そのおかねで何も買えないのだ。だれも売ってくれない。

 

ガソリンもない、食物もない、避難所でとりあえず寝るところを確保して、配給の食事をして、テレビも見ないで、ひっそりと過ごすしかない。

 

え!玄米でなければ食いません!などとは言ってられませんよ。豚肉は食わないからトン汁は食いませんなどと言ってたら、殴られます。

 

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登山ではトイレもなければ電気もありません。水道もなければガスもありません。

 

あ!ガスはあるんです。ガスがあれば食事はできます。山に行く人はサバイバルに強いんです。

 

ガソリンは白河の関でタンクローリーが立ち往生して、福島県には1滴も入って来ませんでした。それがほんとうの災害というものです。

 

現金を持っていけば売ってもらえるなどという災害は、災害のうちに入りません。

 

自衛隊まで逃げ出します。

 

いざという時には自衛隊まで逃げるんですよ。福島第一では自衛隊が大挙して逃げ出しました。みな逃げたんです。福島や郡山の部隊ではありません。

 

よそから来た部隊です。みな青い顔をして福島市に逃げ、それでも怖くて、郡山まで逃げました。さすがに司令官が怒りだし、翌日には現場に戻されました。ほんとの話です。

 

危険だから避難したそうですが、危険だから自衛隊が存在してんですよ。

これからも自衛隊は逃げ出しますよ。

 

今の福島県知事は現地の対策本部の本部長でしたが、青い顔をして真っ先に逃げ出しました。東大卒は青い顔になるんです。

 

取り残された大熊町民や双葉町民がまだ多く残っていました。病院や養健施設にも患者が大勢残っていました。

 

その患者50人が犠牲にされました。病院の職員も県職員も町の職員も自衛隊もみんな逃げたからです。それでも高校の体育館に運ばれて、学校の教員たちの手当てを受けて、みな死んでしまいました。

 

原発事故に当たってはオフサイトセンター(原子力非常事態に対応するところ)に近隣市町村の担当職員が詰めて、事故の対応、避難指示等を発令するところですが、どの町の職員たちもみな逃げて、センターに集まらず、浪江町などには避難命令も届きませんでした。浪江町役場の担当者がオフサイトセンターに行かないのだから連絡が来ないのは当たり前です。

 

オフサイトセンターの国の役人たちはみな逃げだし、県の職員も逃げ出し、自衛隊も逃げ出してだれもおらず、ただ大熊町の職員だけがいたそうです。

 

放射能の拡散予測を示す、SPEEDIの資料のファクシミリはあたりに散乱して、足の踏み場もなかったそうです。

 

SPEEDIの資料は意味なかったし、オフサイトセンターは何の意味もなかったし、保安院も現場にいないし、みんなが大慌てでだれも何もしなかったわけです。

 

そういうことを災害と言います。

 

一番ひどいことは下痢してんのにトイレがないことです。あたりが下痢だらけになってみんなが困ります。トイレだけは真っ先に確保しましょう。

 

 

大勢が避難すると避難先では以前からの人たちが不自由します。お互い様だなどということははやらないんです。病院が満員で立ち往生します。ごみの収集がパンクします。町中がゴミだらけになります。

 

避難するということは着の身着のままで避難してくるんです。替衣がないんです。足元はズック靴です。ひと眼で分かるんです。現金とかキャッシュレスなどと言ってる暇なんかないんです。

 

命が危ないんです。それでも日本人は耐えきった。事故から半年も経たないうちに、すっからかんに忘れてしまった都会のお前らに災害の何が分かる。

今度はオリンピックだって。地獄に堕ちろ!

 

みんな自分にふりかかってこなければ分からないふりをしてんです。真剣に学ばないから、いざ自分がその立場に立つとあわてるんです。

 

登山とは万事が不自由で毎日がいわば災害です。五体の健全を保って災害に備えましょう。

 

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以上老婆心ながら必要と思われることを述べてみました。およそ世の中で役に立つと思われてきたものは、一切役に立たなかったというお話でした。