運命の力(2)

福島の青い空

 

 

運命の力(2)

 

 

 

 

足早に山越えをする避難者の

            列切れ切れに走る閃光   波汐國芳

 

 

「北朝鮮がミサイルを発射した、だから安保法案通しておいてよかったべ!こいつは運が向いてきた

 

ぞ」と官邸で騒いだ人がいたそうだが、何の運が向いてきたのかよく分からない。

 

北朝鮮のミサイル発射で何の運が向くんだろう。

 

日本が真珠湾攻撃をした時、そのことを聞いたルーズベルト大統領は、

 

「期待通りになった!こいつは運が向いてきたぞ!」と言ったらしいが、そういう意味なんだろう

 

か。

 

政治の世界では国民の命が多少失われても、期待通りになったと言って喜ぶ大統領を持った国民は不

 

幸である。

 

太平洋上に着水したが、あれが列島の国民の命を奪っても、こいつは運が向いてきたぞといって騒ぐ

 

首相を持った国民もまた不幸である。

 

 

 

 

 政府の原子力災害現地対策本部は26日、東京電力福島第一原発の事故で唯一、全町避難が続く

 

福島県双葉町に出された避難指示の一部を来年3月4日に解除する方針を町に伝え、町も合意した。

 

放射線量が比較的高く、立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」としても初の解除となる。

 

今年4月に一部で避難指示が解除された大熊町について、政府は新たに大野駅周辺など計28ヘク

 

タールの避難指示を3月5日に解除する方針を示し、町も合意した。2019.12.26

  

 

 

双葉町の住民意向調査

 

18年10月から11月に調査 回答率は48.0%

戻りたいと考えている   10.8%

まだ判断がつかない    25.6%

戻らない         61.5%

 

大熊町住民意向調査

 

調査月日31、1、21 1863世帯 回収率36%

 

戻りたいと考えている(将来的な希望を含む)14.3%

 

まだ判断がつかない            28.4%

 

戻らないと決めている           55.0%

 

無回答(不明)               2.3%

 

1年前の統計の数値であるが目下新統計を集計中であるからしょうがない。

 

 

 

30年は戻れないと覚悟していたものが、一部だけだが今度解除されるという。いつ戻ってもいいん

 

だということと、まだ戻れないでは精神的には大分違う。とにかくほっとしている。

 

お年寄りのことを考えただけで心がなごむ。この9年間はつらかっただろう。

 

他郷では死にたくなかっただろう。痛いほどよく分かる。

 

大熊、双葉町もそうだが、富岡、浪江町、南相馬市などには独特の文化がある。

 

跡取りが結婚すると隠居所を作って、そこに移り、母屋は若い人たちに明け渡すのである。

 

つまり完全に生活を別にするのである。

 

だから、さまざまな人間的な桎梏からほとんど解放される。生活の知恵である。

 

桎梏=厳しく自由が束縛されること

 

 

なんでお前がそういうことを知ってるんだという疑問がある。私は50年くらい前にこのへんを歩い

 

ているんである。浪江から富岡までの浪江線という送電線を作った。そのあとは富岡から第一原発の

 

工事現場までの東電原子力線という送電線を作った。つまり第一原発は陸軍飛行場跡の一面の小松林

 

で原発は影も形もなかった。

 

東電原子力線は東北電力の富岡変電所から持って来たんである。私の24歳くらいの時である。

 

6年間面白くもなんともない事務職などをやらされて、うっ屈していた。やはり山や野を歩く仕事は

 

自分には向いていた。まだ独身だった。月曜に出張して金曜に帰るというパターンである。

 

つまり福島市からこの浜通りまで毎週通っていたのである。そういう月日は10年もやっていた。

 

その間ちょいちょい郡山やいわき市などの送電線も手掛けたがほとんどは浜通りが多かった。

 

そのうち、第一原発ができて、その電気を福島市に運ぶ送電線を手掛けた。6年かかって完成し、そ

 

仕事をやめて、ついでに電力会社もやめてしまった。

 

今ではあの送電線は何に使われているのだろう。原発に電気を送っているのだろうか。

 

まさか55万ボルトで東京から電気を送るわけがないから、原発の当面の電気は、この27万5千ボ

 

ルトの送電線で送っているのだと思う。

 

そういう行きがかりがあって、ほぼ10年間この浜通りを歩いていた。

 

言葉を変えれば首まで原発行政の中にどっぷりつかっていたということで、思い起こせば忸怩たるも

 

のがある。

 

特に電力会社に対し、舌鋒が鋭くなるのは自分に対しての怒りがあるからである。人馬鹿にしやがっ

 

てという思いはいつもある。

 

浜通りの電源工事は行きがかりで、本来は郡山いわき間とか郡山白河間、白河棚倉間、米沢福島間と

 

か、要するに県内の電気が間に合わなくて、毎年毎年伸びてゆく需要に追い付けなくて、泥縄式にあ

 

たふたしていた時期である。いわゆる高度経済成長期である。

 

もう与えられた目標にしゃにむに取り組むほかなかった。いつまで送電線ができないと変電所がパン

 

クするという話なんである。そんなことで10年が過ぎ、その流れの中での東電原子力線であった。

 

たしかにこの送電線が出来なければ第一原発は出来なかった。

 

当時の福島県はどこでもそうでした。ハワイアンセンターができたころは、私は郡山いわき市間の

 

15万5千ボルトの送電線を担当してました。その送電線で新産業都市いわき市の電源を確保したん

 

です。

 

ハワイアンセンターでみんながバカみたいに、あ~こりゃこりゃなどとやっているとき、それを横目

 

で見て、もっと山奥に入っていったんである。地図を見るとよくわかります。緑1色で「ぽつんと一

 

軒家」です。

 

そういう時代に送電線を作ったのはお前だから、反省しろなどといわれたって、反省のしようがない

 

が、振り返って大熊町や双葉町、浪江町などの関係市町村の人たちは気の毒だと思っている。

 

与えられた任務を全うしてひたむきに遂行していたら、大犯罪人にされてしまった。

 

はなはだ遺憾である。

 

 

 

 

 

 

コメント  2020.0106

 

みみさんこんばんは

新しいブログにコメントありがとうございます。お義父さんも東北電力でしたか。むすめさんからも褒められる方では相当な方ですね。私は15年しかいなかったんですよ。たいしてやめる必要もなかったのに辞めてしまい、家内には迷惑をかけてしまいました。

33歳の時でした。

お義父さんは電力人生を全うされたのでしょう。

私が辞めるまで、結婚した家庭持ちが電力会社を途中でやめる人はいませんでした。家業を継ぐとかという人は別ですよ。

よく「バカだ」っていわれてます。

昨日のように今日も過ぎてゆくという人生が我慢できませんでした。そういう意味では特殊な人間です。

飛び出して社会の荒波をまともに食らいました。でも、電力の入社前にとんでもない人生を歩いてきましたので、ちっとも怖くありませんでした。思いきって好きなことをしてきました。文章書きもそういう人生を駆け抜けてきたひとつの表れです。

才能などなかったんで実戦で自分を作ってきたつもりです。

おかげで自分の思うように表現できることを学ぶことができました。

私の人生では電力会社の人生は全くの無駄だったと思っています。早く辞めて正解でした。人に命令されるのが嫌だったんです。76歳近くになりますが、振り返って、無駄な人生を歩かないできてよかったとつくづく思っています。

子供もいないのに夫婦別れもしないで、もう48年です。先行き夢も希望もない人生ですが、後悔だけはありません。

 

 

コメント: 2
  • #2

    a87427 (水曜日, 15 1月 2020 00:05)

    みみさんこんばんは
    お父さんが東北電力ではほとんど身内ですね。女川原発は平井副社長の技術のおかげで助かりました。
    海抜14.8mに決定したのは平井副社長なんです。宮城県生まれです。
    幼い頃から聞かされていた津波の到達点を知っていたんです。貞観の津波です。
    平井氏は貞観の津波跡から逆算して女川の海抜を決めたんです。技術の勝利ですが、要は責任感だと思います。宮城県生まれの人と、よその県まで来て原発を作った人の責任感の差だと思います。
    東電も茨城や千葉に原発を作ったならば、自分の供給圏ですからもっと慎重に海抜を設定したと思います。
    そういう意味ではお父さんも私も胸を張れますが、あくまで身内だけの話です。
    元電力マンとしては、あてもなく全国を漂流している人たちに対してはいうべき謝罪の言葉もありません。原発は五重の安全装置で安全だからと言って回った張本人です。
    へびににらまれたカエルのごとく、だまって協力した人たちに対してほんとうに済まなく思っています。

  • #1

    みみ (月曜日, 06 1月 2020 08:39)

    私の義父も東北電力でした。
    人柄の良い人で、子供もなついていましたが、
    原発への疑問を言うと義父の前で言ってはいけないと母に叱られました。
    震災の前に亡くなり、母は、原発事故を知らないで亡くなって良かったと言ってました。
    同じように負い目を感じることになっただろうと思われます。
    でも、a87427さんや義父が負い目を感じることはないと思います。
    悪いのは原発が良いように宣伝して騙してきた電力会社です。
    しかも、その一部の人たちが甘い汁を吸うために、原発推進は美味しい事業だったのですから。
    事故後も甘い汁が忘れられずに相変わらずの日本、倫理観も良心もあったものではありませんね。