福島の青い空 黒沢峠(山形県小国町)

 

岳人の先人の中に大島亮吉という人がある。「先蹤者(せんしょうしゃ)」という著書があり、その中に、「若人よ古き蔭のある道を選んで歩け」という言葉があった。

 

若い時は古き影のある道などあるわけがなく、何言ってんのかさっぱり分からなかったが、この古い道を歩くとそのことを実感する。

 

まさに影のある道で、影ばっかりである。

 

苔むした敷石があって、そこにブナの黄葉した落ち葉が降りつみ、この情景を何に例えるべきか。

 

まさに若人よ古き蔭のある道を選んで歩けである。

 

古い越後街道は伊達氏の伊達稙宗(たねむね)造ったものである。道沿いにブナなどを植えてわざと日陰をつくらせたという。古い石畳みの道にブナの落ち葉が降りしきり、古色蒼然たる古道が圧倒的に迫ってくる。

 

私が好きだった日本山岳会福島支部長の伊藤弥十郎氏は大島亮吉氏とは知己であった。

 

吾妻の浄土平でともにスキーの練習をした仲だったという。当時の五色温泉や浄土平はスキーのメッカだった。1920年代の話である。

 

八ヶ岳で大島亮吉の最後の写真を撮ったのは伊藤氏である。その写真が遺影となって大島亮吉氏の著書の巻頭となった。

 

大島亮吉(1899~1928)東京生まれ、北海道大学、前穂高北尾根で墜落死。27歳。

 

 

 

※しかし、このKDDIのブログはいいね。写真が大きくて、私の下手な写真でも見栄えがする。

 

写真が大きいとアラが目立たないんですね。文章も書きやすい。

 

ヤフーブログのように、あっさり投げ出すことのないように願うばかりである。ヤフーブログはサイテ―だったね。コマーシャルもないし、芸能人のデタラメ記事と一緒にされることがないので、ひと安心である。

 

アメブロは自分が穢されるようで不愉快である。全面撤退したいがいろいろ義理もあってそうもいかない。アンビバレンスだ。アンビバレンス=忠ならんと欲すれば孝ならず。