福島の青い空 生活と意見(2)

 

福島の青い空 

 

  生活と意見(2)

 

 

 

 

 読書の傾向をみると人の性格や考え方まである程度推測がつ

 

くというのはほんとうである。他人の書架を見ることは、そ

 

ういう意味ではいろいろなことを考えさせてくれる。

 

「葬送譜」というのは亡くなった方の回顧録である。佐高氏

 

は長年経済雑誌の記者として多くの方をインタビュ―してき

 

ました。

 

私の知名な人も多くいる。荻村伊智朗、土門拳、藤沢周平

 

、渥美清、住井すゑ、井深大、勝新太郎、木下恵介、久野

 

収、桂枝雀、淡谷のり子など多士済々である。そのほか25

 

名の人の葬送譜を書いている。

 

「人間が幸福になれない日本の会社」、未読。

 

「いやな時代こそ想像力を」佐高信、高村薫共著。未読

 

「鯛は頭から腐る」未読。

 

「田中角栄」早野透著

「田中角栄」早野透著これは一度読んでいる。現在読書中。
「二葉亭四迷の明治41年」関川夏央著 未読。 
 

波汐さんの新刊詩集「鳴砂の歌なるさのうた」未読。

  

「失言恐慌」

 

昭和2年に実際にあった日本の大恐慌、その発端となった東

 

京渡辺銀行崩壊の顛末をドキュメント風に活写している。

 

佐高さんは自分の文章の特徴はいかに経済の無粋な事柄で

 

も、詩や、俳句などをちりばめて、いわば文学的な見地から

 

文章を組み立てている。と言っている。いかにも元国語の教

 

師である。

 

だからいたるところで人びとの自作の句や歌を披露してい

 

る。文章が乾いておらず、人間的な感じで潤っている

 

文章に情緒が込められていて、生硬な経済問題を取り扱って

 

いても人間的で面白い。そういう意味では佐高さんの文章は

 

文学的だと言える。基本的に私は人間の問題を取り扱ってい

 

る文章はいずれも文学だと思っている。報告書や論文とは全

 

然違うのである。

 

「だまされることの責任」魚住昭、佐高信共著

 

これは伊丹万作のエッセイで言っていたこと。

 

伊丹万作=映画監督、「無法松の一生」などの脚本家。映画監督故伊丹十三の父。

 

つまり、敗戦直後に、日本人のほとんどが「だまされて戦争

 

に突入した」といい、自分の責任を溶解させようと思ってい

 

た頃、伊丹監督は「だまされたものは正しいとは、古来いか

 

なる辞書にも決して書いていない。」と断定し、「だまされ

 

るということ自体がすでに一つの悪である」と主張した。

 

そしてだまされたことを平気でいられる国民なら、おそらく

 

今後何度でもだまされるだろう。と喝破したのである。

 

「それがだまされることの責任」の主題である。

 

 続きは読んでから書きます。