福島の青い空 しゃがむ土偶

 

縄文遺跡「上岡遺跡出土」

 

しゃがむ土偶どぐう

 

 

 

 

 

 

1年前にはこの土偶は世界を旅していた。ようやくこの1月に福島に戻ってきた。

 

電話したら、今展示してあるという。さっそく行ってきた。ケース越しだが、やっぱ

 

り本物は違います。

 

この土偶が福島市東湯野の上岡遺跡というところから出土しました。昭和27年ころ

 

です。国重要文化財です。

 

 

 

縄文遺跡「上岡遺跡出土」

 

しゃがむ土偶どぐう

 

 

 

 

 

 

1年前にはこの土偶は世界を旅していた。ようやくこの1月に福島に戻ってきた。

 

電話したら、今展示してあるという。さっそく行ってきた。ケース越しだが、やっぱ

 

り本物は違います。

 

この土偶が福島市東湯野の上岡遺跡というところから出土しました。昭和27年ころ

 

です。国重要文化財です。

 

 

↑これは本物です。

 

2009年ロンドン大英博物館展示

 

2018年パリ開催所不明。

 

 

イメージ 1

↑これはレプリカです。今までこれが展示されていました。

本物の正面坐像↓

左側面

 

右側面 妊婦といわれています。およそ3500年の時を経て縄文の妊婦の姿がいま現代によみがえ

 

る。感動のリアリズム。生き生きとしていてそれゆえ妙な迫力がある。このような完成された土偶は世

 

的に珍しいようである。このほど世界をめぐってきた。

 

 

この人たちは福島の人たちの直接の先祖である。

 

のちにあらえびす、えみしなどと呼ばれ、都会の人たちによって、原発をつくられて爆発させられ、犠

 

牲にされた。この人たちが生きていた時代の3500年後のことである。

 

当時は電気もなく、水道もガスもなく、もちろん電話もパソコンもテレビもなかった。

 

それでも工夫して生活していた人びとの姿が今よみがえる。

 

「芸術は爆発だ!」といった人があって、縄文には不思議なパワーがある。

 

生活以外に何もないからパワーがあるのだ。現代における衣食住のすべてが足りなくて、はなはだ不

 

如意である。「芸術は爆発だ!」岡本太郎(1911年~1996年)、縄文をテーマにした作品で有名。

 

現代でも、このような生活がある。登山だ。

 

登山が多くの人たちから愛されるのには、以上の何もない生活があるからだ。

 

身体一つで生きていくことはそれだけ人にパワーを与えてくれる。人びとが縄文に帰るからだ。

 

それはひとつのたとえであって、不自由の中に自由があるということである。

 

これまた難しいたとえで、要するに自然に帰れということです。

 

人びとに真の自由と心の安らぎを与えてくれるものは自然しかありません。それ以外に心の安らぎを

 

得ようと思ってもまったくのムダです。広義には人間も自然の中に含まれます。

 

この間飯豊山の温身平に行ってきたが、トイレはこの先100mですなどと書いてあった。100mも

 

我慢できますか。いくら自然は自由だといっても、下痢して歩かれたら汚なくて困ります。

 

 

 

家人が老眼鏡を取り出し、なにやら説明書きなどをじっくり見ていて動かない。

 

何度も声をかけても、熱心に見ているのだ。

 

「なんだ泊まっていくのか?」

 

「学者になったのか?」など嫌味を言っても動かない。

 

「これは今度姉を連れてくっぺ」などと言っている。

 

人はみかけによらない。こんなにはまるとは思わなかった。

 

 

 

小さな急須のような土器もあった。写真を撮り忘れ。あれ?縄文人もお茶しったのかなと思って、お

 

かしかった。休んでお茶でも飲んでがっせなどと言ってたんでしょうね。

 

この頃のお茶っ葉はなんだったのだろう。もちろん今の茶葉はいまだない。ウコギの葉、ヨモギの

 

葉、タンポポの根っこなどを煎じて飲んでいたのだろう。タンポポの根っこは飲んだことがある。

 

けっこう、うまかった。

 

 

 

 

 

これは館内にある縄文宮畑遺跡の遺構です。「じょうもぴあ宮畑」はこの遺構の上につくられていま

 

す。

 

この上を歩いていたら家人がしきりに止めるんです。怒られっから上を歩くなというんです。

 

係員が通りかかり、上に上がっても大丈夫ですよといわれていた。

 

田舎者め!

 

遺構の上を直接歩きまわれるとはいいアイデアですね。

 

 

お断り

 

従前は「しゃがむ土偶」は「うずくまる土偶」と呼ばれていたような気がしました

 

が、正式には「しゃがむ土偶」と呼ぶのだそうです。したがって今般呼称を改めまし

 

た。

 

以前の記事

 

https://ameblo.jp/a1927115115-02/entry-12547111103.html?frm=theme

 

一部再掲します。

 

イメージ 5

これはショックな名称ですね。
 
雌性座像土偶」が正式名称だそうです。昭和27年(1952
 
年)を客観的に論じると、こういう時代なんですね。私は小学校3
 
年生でしたね。女性の土偶を雌性だなどとつける感覚ってどうなん
 
だろう。一口に言うとやっぱり戦争に行ってきた人たちの感覚なん
 
ですね。
 
この土偶は以前から世界のあちこちに展示されて、インタナショナ
 
ルなんです。まさか「雌性なんとか」などと言って展示されている

 

んじゃないでしょうね。
これでは女性はケモノと同じだと言わんばかりです。担当者は女性
 
蔑視、女性差別主義者だったんですね。絶対許せませんね。

 

 
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よく見たら変な道路の予定ルートになっている。こりゃ大変だ。
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東湯野村の取り組み↑
東湯野村は当時、福島市ではありませんでした。したがって教育委
員会も小規模で予算もなく、大発見は本当によくやってくれまし
た、というところです。おかげでわれわれは、こういうとんでもな
い古代遺跡を眼にすることができたわけです。この土偶は現在世界
を旅しています。
イメージ 10
小原ご兄弟は当初、桃畑にするため暗渠を切っていたらしい。作業
中にごろごろ遺跡が出てきたので、役場に届けたんです。中断し
て、発掘作業に入り、この「うずくまる土偶」がおよそ3500年
ぶりで世に出ました。
国重要文化財の発見者としてお二人の名前が歴史に残りました。

 

まあ、どうでもいいことですが、この小原ご兄弟はお名前に七がついています。

 

この東湯野地区にある独特な名前の付け方で、大体の人の名前には七がついている。

 

家人の父親もこの地区の出身で名前は長七、兄は喜七、祖父は萬七である。

 

弟は敬七だそうである。名前の後に必ず七の字をつけるなどということは聞いたこと

 

がない。一集落がみな七だらけということになります。

 

 

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コメント: 5
  • #1

    HAKUDOU (日曜日, 16 2月 2020 07:58)

    素晴らしい土偶ですね。「不自由の中に自由がある心理」

  • #2

    mimi (日曜日, 16 2月 2020 11:23)

    こんな姿の土偶は初めて拝見しました。
    豊かな文化があったことが伺われますね。

    雌性座像土偶とは‥がっかりします。
    でも、a87427さんが女性蔑視だと怒ってくださって嬉しいです。
    女性差別の方々は自分も母親から生まれてきたのに、母親も「メス」くらいに思っているんでしょうかね。
    古代日本は母系社会だったはず、よくもまぁこんな酷い蔑称をつけてくれたものです。
    それはともかく、遺跡から古代社会を想像してみるのは楽しいですね。
    古代人もお茶してたんだ~という発想、うふふ・・でした!
    タンポポの根っこのコーヒー、一時愛飲してましたよ。

  • #3

    a87427 (日曜日, 16 2月 2020 20:03)

    先生こんばんは
    もののない時代にわれわれは幸せいっぱいでした。ものがあふれるようになってきて初めて人びとに不満ができました。思えば我々は得難い体験をしてきたわけですね。

  • #4

    a87427 (日曜日, 16 2月 2020 20:14)

    ミミさんこんばんは
    ブログの文字見づらいでしょう。やっぱりタンポポコーヒー飲んでましたか。
    私はフェミニストですよ。ブログの傾向から頑固な横暴男に見られがちで恐縮してますが、実際はまもなく結婚50年を迎えますよ。子供もできなくて苦節50年です。
    ミミさんのおっしゃる通り母親が大事にされない時代になっているのだと思います。
    戦前生まれの私の頃までですね。母親が大事にされたのは。戦前は親を養老院に叩き込むような価値観はありませんでした。

  • #5

    晴彩 (木曜日, 25 5月 2023 18:33)

    タンポポコーヒーですか飲んでみたいですね。
    万が一のために貴重な過去の遺跡などなどは3Dスキャンしてデータでも保存しておくと良いと思うのですが。