トイレットペーパー騒動に巻き込まれる

 

 

トイレットペーパー騒動に巻き込まれる

 

 

スーパーにただの水を汲みに行った。6リットル。1日おきに行ってる。家人から電

 

話があって、ティッシュとトイレットペーパーを売ってるから買ってこいというの

 

だ。

 

1家族1個限定という。在庫は確認してるから、そんなにいらねえだろうと思ったが

 

とにかく買おうとしてならんだが、すでに売り切れである。トイレットペーパーだけ

 

はまだあった。

 

レジは客がいっぱいで100人くらい列をつくっている。

 

恐れをなして、いやだなあと思って電話すると、なんでもいいからとにかく買ってこ

 

いというのである。

 

私は人から命令されるのが嫌いで、月給取りの勤めをそれでやめてしまった。

 

「なんで俺に命令するんだ」と思って腹が立った。そういう状況が理解できない人間

 

なのだ。

 

入社するときに誓約書を一札入れているのである。なんでも社命には従いますという

 

一札である。

 

今では歳をとったので奴隷のように扱われている。いちいち顔色をうかがって、そう

 

でございますねとか、あゝでございますねなどといってご機嫌をとっている。

 

もちろん東北弁である。

 

一生従順にするという誓約書を入れているようなものである。人と言い争うことが嫌

 

なんである。静謐を保って本でも読ませてもらっていた方が楽しい。

 

いつか仕返しをしてやる。

 

私のところはマスクもトイレットペーパーもティッシュふんだんに在庫がある。

 

なぜかこうなる前に買っておくのである。通常値段である。

 

大震災の時もそうで、3月10日が家人の母の命日でお墓参りのあと、ガソリンを入

 

れたりコメを買ったりして、しこたま買い物をしていた。だから食糧など日常の生活

 

物資はすべて足りていた。

 

これは運のいい証拠である。運の悪い人は焦って並ぶことになる。世の中運のいい人

 

と悪い人で出来上がっているのだから仕方がない。運のいい人は今までが悪かったか

 

らこれから良くなるひととかさまざまであるが、運がいいからといって喜んでばかり

 

はいられない。いいことも悪いことも人生は50%ずつなんである。

 

不運は試練と思うべきで、不運にあわない人はひととして完璧にはなれない。

 

貧乏しなかった偉人はいないからだ。「艱難汝を玉にす」ということわざもある。

 

何の苦労もしないで、世の中をでたらめに送って、こんなものだろうと油断している

 

と大変な目にあわせられる。50%の不運に見舞われるからだ。まとまって襲ってく

 

るから人生はすごい。あっという間である。「眠らんに~」などと言って、収賄だ、

 

不倫だ、脱税だなどと言って高いところからたたき落とされる。高いところに登らな

 

ければ怪我もしまいが、人生はそうはうまくいかない。わが世の春を寿いでいるとこ

 

ろを、肝心なところで叩きのめされてしまう。人生は不可解である。

 

人生を無難に乗り切り、子供もまあ何とか無事成人した。どれ、これから人生を楽し

 

もうか、などと思っていたのに、たまたま受けた検診で驚天動地の宣告をうけてしま

 

った。などということは世の中ではまれなことではない。

 

好事魔多しといって、順風満帆などとはそういう思いだけでいいのである。実際は浮

 

沈があり、適当に不幸で、不如意で思うようにいかないことが大事なんである。

 

「この世はうまくいかなくって当たり前」

 

だから達人は順風満帆、完璧などという言葉を避ける。わざとピークを避けるのだ。

 

企画がことごとくあたって、喜びの頂点にある時、ひとり身を退き、成功の果実を食

 

わない。

 

偉大な人物の一生はみなそうである。頂点に立った人はみな志半ばで殺された。

 

人の頂点はいっぱいあるのであって、一時の成功だけではない。臥薪嘗胆、決してあ

 

きらめず、捲土重来を期す。そういう生き方をした人だけが、人に侮られず、バカに

 

もされず、人生を全うする。

 

山県有朋(1838~1922)

 

伊藤博文(1841~1909)

 

私は伊藤博文が大好きだ。高杉晋作が功山寺で挙兵した時、一番先に駆けつけたのは

 

伊藤俊輔である。本人も、のちに、私に誇れるものがあるとしたら、功山寺で挙兵し

 

たときに真っ先に駆けつけたことだろうと言っている。

功山寺で挙兵=日本史のターニングポイント。この挙兵がなかったなら明治維新は百年遅れたといわれる。

 

山県は奇兵隊の軍監だったが、伊藤の誘いを断った。そのために一生伊藤には頭が上

 

がらなかった。

 

 伊藤は高杉晋作顕彰碑の碑文の作成を依頼された。下関の東行庵にその碑がある。

 

除幕式には伊藤はハルビン駅頭で暗殺されてすでにこの世になく、井上馨が代行し

 

た。

 

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し....」に始まる碑文である。

 

そこには「私に誇れるものがあるとしたら~云々」という伊藤の高杉への痛切な哀悼

 

がある。

 

伊藤はスケベでしょうもなかったが、明治帝に愛されしばしば小遣いをもらっていた

 

という。小遣いといってもどうも億単位だったらしい。伊藤は財産を残さず、貧乏し

 

ていたらしい。このへんが山県と違うところで,山県はあちこちに別荘を数多く持

 

ち、それを設計するという趣味があったらしい。

 

金にきたなく蓄財が好きだというのは長州の政治家の特徴で、ために国民から嫌われ

 

た。伊藤の国葬では沿道は人であふれ、国民がみなその死を悼んだ。

 

山県も同じく国葬にされたが、人影はまばらだったと見てきたようなことを言いま

 

す。

 

山県は西郷から「三井の番頭さん」といわれるほど財閥と癒着して、汚職ばっかりし

 

ていて、しばしば西郷にかばってもらっていたらしい。

 

山県と井上馨は汚職政治では長州の巨頭で、いろいろな癒着事件を起こしている。

 

その不正政治の流れは現代まで続き、長州人の評判を落としている。

 

長州人だって立派な人があって、みながみな汚職していたのではなくごく一部の人た

 

ちである。明治の顕官はほとんど清潔だったと私の調査にもあります。

 

政治家が汚職するようになったのは、岸信介以降のことで、司馬遼太郎さんもはっき

 

り言っています。(この国のかたち6)

 

しかし金にきたない政治家の流れの淵源は、この山県、井上にあることは明らかで

 

す。尾去沢鉱山事件(井上馨)、山城屋和助事件(山県有朋)

 

両人ともこの事件に関連して職を去りました。当時長州人の国の私物化といわれる端

 

緒で、現代における長州人の汚職のよって来たるお手本になっていると言われていま

 

す。

 

「われわれは馬上天下をとったんだ。文句があればかかってこい。なにしようと俺ら

 

の勝手だ」と言って、悪いことのし放題です。それが長州人の基本的な考え方です。

 

昔から長州人は悪いことばっかりやってきたようなことですが、結果的には国の判断

 

は、すべて長州の責任だと思っています。

 

要するに明治維新以降の長州政治はすべてにおいて間違った判断をして国を壟断して

 

きました。その結果が1945年の敗戦です。せっかく作った日本がすべてなくなっ

 

て御破算になったんです。

 

日清、日露戦争もシベリア出兵も満州事変もすべて誤った判断からです。結果がすべ

 

てですからね。敗戦以前の判断がすべて敗戦につながっているということです。

 

敗戦以降もいや明治国家はまだ連綿として続いているんだという人と、いやまるっき

 

り新しい国家が生まれたんだという人たちとの角逐がこの75年間の結果です。

 

いや7年間の占領期間をなかったものとすることには無理があると私は思っていま

 

す。みんな考えまいとしてるんです。今ではいったい何のことだという人ばかりで

 

す。原発を忘れたり、占領期間を忘れたり、1940年の幻の東京オリンピックまで

 

忘れています。そういう健忘症の日本人に対する歴史の逆襲が今回の東京オリンピッ

 

クだと思っています。

 

このものごとの一点だけを見つめて、他を捨象してしまう特技は日本人独特で、へら

 

へらへったらへらへらへで都合の悪いことはすべて見ないことにしてしまい、今では

 

原発の避難者のことも震災の被災者のこともすべて忘れ去っています。そういう歴史

 

からの検証が今まさに行われようとしています。捨象=都合の悪いことは見ないようにすること。

 

「いくら教えても分からない馬鹿どもだ」と歴史がいっています。

 

トイレットペーパー騒動とはそういうことです。そういう人たちが清き一票を持って

 

るから問題なんです。日本がよくなるはずがありません。