福島の青い空 日本の重役さん

 

 

日本の重役さん

 

 

佐高信氏、早野透氏、松田喬和氏のジジ放談のユ―チューブを見た。

 

佐高信氏が朝日新聞をけなして毎日新聞をほめていた。首相懇談会に毎日と東京

 

新聞が欠席したからだ。懇談会は2度にわたって行われ、毎日は両度を欠席した。

 

松田氏は毎日新聞、早野氏は朝日新聞のOBである。

 

首相と一緒になって酒飲みながら懇談するって、それも官房機密費であろう。

 

一体全体日本の新聞記者って何なんだ。こういう記者は外国にはいないらしい。

 

批判する相手と私的に懇談して、いったい何を批判しようとしているのか、という

 

ところが佐高氏の言いたいところである。

 

そもそも日本の記者クラブという存在も不思議な存在といわれている。外国にはな

 

い。

 

首相の記者会見、官房長官の記者会見を見ていると、首相や官房長官に対する質問

 

をセーブしたり発言を封じたりしてるところがよく見られる。要するに首相周りの

 

番記者たちが首相や官房長官をかばっているという図式である。テレビで見ている

 

とそういうふうに写っている。

 

あの存在が新聞社なんである。新聞社のキャップも番記者も首相たちをかばってん

 

である。それが今のマスコミの実情である。

 

それではまともな記事などは書けないと思われるが、読者たちはそう思わない。テ

 

レビを見ても新聞を読んでも平気なんである。適当なことを新聞に書かれても、疑

 

ったり、おや?などとも思わないで、そのまま読み流し、テレビはボォッとして気

 

がつかないで見ている。

 

NHKのいうことをうのみにして本気で信じている。NHKがいうのだから間違いない

 

と思っているのだ。すごい国民である。NHKが一番危ないんである。

 

ただNHKにも人物がいる。その人物たちが作った番組があった。NHKは原発から3

 

0キロ圏内に入ることを禁じていた。あえてそれをこえて圏内に入っていったチー

 

ムがあった。理由はまだ人々が住んでいたからだ。それらを報道することが彼らの

 

目的だった。当然責任者は処分されたが、報道された番組は支持され、多くの反響

 

を呼んだ結果NHKの方針を改めさせ、番組製作上の支障がなくなって、本格的な報

 

道番組として日の目を見た。当初、番組を抑えて放映させなかったのはNHKの重役

 

たちである。

 

それが、NHK「ETV特集」「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で、のちに文化

 

庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞した。

 

 

筆が走って話がそれた。主題は重役の話である。

 

佐高さんの著書「会社はだれのものか」企業の世襲と独裁批判、を読んでいたら「タ

 

シードライバー日記」と言った著書もある作家の梁石日が、ある大手企業の常

 

の専属ハイヤー運転手をやっていた時のことが出ていた。

 

梁石日=日本の小説家。在日朝鮮人。通名:梁川正雄。 

生年月日: 1936年8月13日 (年齢 83歳)
著書: 夜を賭けて、 血と骨(上)、 血と骨、 血と骨(下)、 闇の子供たちなどがある。 

 

自己顕示欲が強く、料亭などからの帰途、後部座席にふんぞり返って自慢話をする

 

が常だったこの常務は、あるとき、こう放言した。

 

「運転手君、君にはわからんだろうが、日本の金は我々大企業のものであって、極

 

に言うと君たちの家もクルマもわれわれが恵んでいるようなものなんだよ。わか

 

るかね。」

 

今春闘で労働者諸君はなにがしかの賃上げを要求しておるが、適当に与えてやれば

 

いんだ。どうせそのうち、かれらのカネはわれわれのとこへ戻ってくるのだ。

 

――中略―――

 

日本の労働者の幸せを保証してるのはわれわれだ。そのことを君たちは忘れてい

 

る。」

 

あまりにバカらしくて梁が黙っていると、この常務は、

 

「運転手のぶんざいで、きさまは生意気すぎる。おれのしょんべんでも清掃しろ」

 

いって、いきなり放尿し出だしたという。

 

それでケンカになり、梁はそのハイヤー会社をクビになった。

 

佐高氏はもちろん、こんなお粗末な重役は稀だろうがと言ってるが、こんなお粗末

 

実態が日本の重役なんである。

 

こういう人を人と思わないやり方で世間を渡ってきたのである。こういう人間は会

 

にとってはおそらく有用で、だから重役になれたのだが、かえって人間としての

 

品格をなくしてしまった。人間としての品格を磨いてきた重役などおそらく皆無で

 

あろう。日本社会はそういう人でないと出世できない社会なんである。

 

それは酒を飲ませてみればすぐ分かる。日頃のタガが外れてとんだことになってし

 

う。それで正体がばれるのである。ああ~こりゃこりゃですぐしっぽがでてくる

 

だ。

 

東大工学部を出て東電の原子力部門を一筋にきた重役が、なんと、「教訓」がなか

 

ったので原発を守れませんでしたと言ったのだ。

 

「教訓」なぞ最初からなかったのだ。何もない中で悪戦苦闘して日本の原子力工学

 

を発展させてきた先人たちがいたのだ。

 

非常用電源を40年間も地下深く置き、電源車は一台もなく、応援の電源車をつな

 

いでもコンセントが合わないのでつなげず、何の役にも立たなかった。

 

2千万キロワットの大電源地帯に電源車が一台もなかった異様な光景。

 

自家用車のバッテリーを持ちこみ、それをつないで必死になって弁を動かそうして

 

いる人たちの絶望。

 

「福島フィフティー」という映画の宣伝をテレビでやっている。

 

こういう現場の絶望感を捕らえられていれば本物だが、様子を見ている。家人には

 

「おれは観に行かない」と言っている。なんで観に行かないか家人を説得するのが

 

難しい。

 

原発現場のこの人たちは訓練をしてきたのだろうか。電源車が必要だという訓練が

 

一切なかったのだ。想定外。そんな訓練があるのか。

 

40年も現場にあった責任者がそのことに考えが及ばず、「教訓がなかったので対

 

策がとれませんでした」「結果的に爆発してしまいました。」

 

原発事故の裁判は重役の責任は問われませんでした。

 

裁判官が「教訓がなければ対策は無理でしょうね」といって、責任を不問にしたの

 

である。以上の責任は一切が不問にされた。

 

私は梁石日とケンカした重役はこの人でなかったのではないかと思っている。

 

重役は威張る代わりに、いざという時には責任を取るのです。それが江戸時代から

 

のわれわれの責任の取り方です。

 

「教訓がなかったんで云々~」 などという弁解はだれでもできる。