古関裕而

       

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

云々亭居士の日常(16)

 

 

エ~ル 古関裕而

 

 

水林自然林の写真がある。日付はでたらめでカメラのせいである。実際は2019年5.月13日である。

 

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https://ameblo.jp/a1927115115-02/entry-12547110732.html

 

たまたまKHNの”エ~ル””を見る機会があった。古関裕而の物語らしいが、何から何までデタラメで、最初から見る気がしなかった。

私は福島商業高校卆だから、ルーツ的にはちゃくちゃくの後輩である。

 

古関裕而のメロディーで青春時代を過ごした。福商には”青春歌”というものがあって、強制的によく歌わされた。

 

https://www.facebook.com/kashimayu.concert/posts/2625213517801786

 

どこがデタラメだかというと古関は川俣生まれではなく福島市生まれです。川俣には銀行員の時1年くらいいただけです。

たしかに川俣は母親の実家で。でもああいうデタラメにするのはどうかと思います。

 

古関が生まれた福島市大町は当時一番の繁華街でした。今は見る影もありません。作詞家の野村俊夫も同じ町内の生まれで、超一流の作曲家と作詞家が同じ町内で生まれて、当時一緒に遊んでいたなどとはほとんど奇跡です。

 

エ~ルはそういうところもやったんでしょうかね。ほとんど見てませんからよくわかりません。

 

 

木製田舎杓子 おたま 木、柄:竹 カンダ 1個

 

なにげなくエ~ル見ていたら、木製のしゃくしが出てきた。気が付かれた人も多いと思うが、昔はみなあれだった。杓子と言っていた。

時代考証が細かいね。

 

ブナ材が使われていたと思うが、クロベというヒノキの仲間が主だった。鍋のフタはブナの木です。湿気や水に強い木です。

 

そういう木工細工をする人たちを木地師といいます。たいがい集落をつくって、木地を加工してましたが、今は定着して農業などに従事しています。

 

現在はアルミ、ステンレスなどの合金、プラスチックなど材料は多様です、木のしゃもじを使ってるところはあまりないですね。

 

私は若いころはこういう杓子や、お椀などを作っている職人を訪ねて歩くのが楽しみでした。桧枝岐、下郷町、土湯温泉、裏磐梯の細野などなどです。福島県内主だったところはみな歩きました。

 

専門家はお墓まで訪ねていますが私はそこまではやりません。

 

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https://ameblo.jp/a1927115115-02/entry-12547091076.html?frm=theme

 

口から出まかせを言ってると思われるのでいちいちURLを示しています。私は口から出まかせは一度も言っていません。当ブログの言ってることはいちいち根拠があります。ただ面白おかしく言ってるだけです。

 

面白おかしく努力しないと誰も読んでくれないからです。まじめな題材ばかりだから、工夫しないと論文を読むようになってしまうからです。

 

小さな文字でびっしり書いた真っ黒けな文章などは普通は誰も読んでくれません。文字間や行の間を広くしたり読みやすくする工夫してんですよ。

 

自分さえ分かればいいなどという文章はペケですね。メモ代わりじゃないんだから、少しは読ませる工夫をすべきです。

 

現在の木工はお椀作りでも、こけしつくりでも皆機械です。轆轤(ろくろ)が機械になってんです。動力は様々です。水車を利用しているものを紹介しました。

 

昔はこのろくろを手で回したんです。だから二人かかりです。

一人が足や手を使って、ろくろを回して一人がノミを当てて削るんです。

 

私の若いころは写真にでてくるようにチョウナのようなもので、足の指で固定して、一瞬一瞬くるくる足指で回し手練の一撃で削ります。女性がやっていたということですが私は男性の職人しか見たことがありません。

 

早稲沢の山城屋に泊まって司法試験の勉強をしていた小椋佳はこのお椀職人の一撃の芸に魅了されたと言ってます。小椋佳は私と同年です。同じ時期に木地師の集落で遊んでいたわけです。

小椋姓はみな木地師の名字です。

 

四角い材木の周りを斧で削り、お椀の形にして、中を繰り出して

お椀の粗削りをして、それを木工加工所に出したりするわけです。

ブナ材を多く使うわけです。

 

それを削り出し、きれいに磨いて、何度も工程があって最後は漆塗りにされます。漆器の工程です。漆は水に強く、防腐性があり、接着性も強く、昔から木工に使われてきてその古さは、上古9000年もさかのぼられます。

 

正倉院が日本最古の木造建造物のゆえんはこの漆がふんだんに使われていたからです。

 

いまどこの旅館でも、すし屋や料理屋でも、みな漆塗りのお椀で味噌汁を出すでしょう。プラスチェックのお椀でだす旅館などないでしょう。回転寿司屋くらいです。どんなぼっこれ旅館でも木のお椀です。

 

なぜ味噌汁ばっかりこのお椀なんでしょうね。恐るべき日本民族のDNAです。こんな国民はほかにありませんよ。

 

古い家には蓋つきのお椀が100人分くらい紙で包まれて保存されていましたね。日本国民のハレの日の象徴なんですね。節目節目の冠婚葬祭に使われました。

 

会津では「こづゆ」という伝統料理があって今でもお正月やおめでたい日に使われます。

 

材料

  • 里芋
  • にんじん
  • タケノコ
  • 糸こんにゃく
  • 麩 (てまり麩)
  • きくらげ
  • 出汁
  • 干し貝柱 
  • 干し椎茸 
  • 昆布 
  • お湯 
  • ①薄口しょうゆ
  • ①料理酒
  • ①塩ひとつまみ
  • 三つ葉適量

干し貝柱と干しシイタケ、昆布でだしをとるんだから当然素晴らしい味だと思うのですが、うまいと思ったことがありません。

 

うす口醤油と塩一つまみでは味は薄いですよね。濃い味好きな東北人の料理ではないですね。材料の味を大事にする関西風の味つけなんですね。フクスマの田舎者がうまいわけがありません。

 

京の足利将軍家の料理人が信長に捕まって、喜んだ信長が料理を作らせました。出された料理を食って信長は烈火のごとく怒りました。

 

これはまずい料理だ。こんなふざけた料理人は即刻殺してしまえと言われたので、料理人は「あいやしばらく、もう一度料理を作らせてくだされ」と言ってもう一度作らせました。そしたら信長はこんどは喜んだそうです。

 

なあにしょっぱくしただけですよ。と京の料理人は言いました。という話が伝わっています。要するに私は田舎者で味を薄くして、食物本来の味わいを楽しむという高級な味わい方を知らないというわけです。

 

こんなうまくない店には二度と来てらんにい~などといってるわけです。

 

問題はこの器のことです。これは会津塗です。こづゆ椀で独特なものです。会津ではどこの家にこういう底の浅い会津塗のお椀があります。

 

大酒を飲みながら、きくらげなどを酒のさかなにして飲んでるわけです。私は飲めませんから、わきでまずそうにして、なんの味だかわからないままに食っていました。